関東学院大学文学部英米文学科1991年卒業:萩高等学校普通科理系1985年卒業
人になれ!!奉仕せよ!!(学校法人関東学院の校訓)
文人政治・哲人政治がいい!!(宮内欣二の言葉)
友達の友達は皆友達だ!!(林哲也より)
開始時刻:18:23:04
さて~~~~~!!
おれ、毛利太郎・・・!!
おれは、今日、三隅から、長門市までの、旅に出た・・・!!
おれの、自転車は、パナソニック製の、10万円の、アシスト自転車であるが・・・!!
おれは、自転車の街・萩生まれで、子供の頃から、自転車で、街を観て歩くのが、大好きな、男の子だった・・・!!
その、おれが、まさか、萩市に、いなければ、困る人だと言うことに、気が付いたのは、やはり、長門市の、自転車の、旅路からの、発見であった・・・!!
道中、おれは、大津緑陽高校の、高校生に、出合ったが・・・!!
おれは、萩高校卒である・・・!!
先ずは、おれは、歴史は、絶対に、動かせません!!と言う、信実には、驚いたが・・・!!
それは、萩市の、歴史は、武家社会の、街であり、長門市は、出は、農家か、漁師の町である・・・!!
これで、先ずは、萩市の、男と、長門市の、男の、果たすべき、役割について、考えれば・・?!
萩市は、萩高等学校卒が、萩市の、将来を、決める・・・!!
一方で、長門市の、将来は、大津緑陽高校の、卒業生が、決めるという、発見があった・・・!!
おれは、今、思えば、萩市は、およそ、400年前から、この地の、政治を任されていた、都市である・・・!!
一方の、長門市の、政治の歴史は、山陰本線が、開通した辺りからの、歴史しかないのではないか・・?!
この差は、もう、今となれば、雲泥の差が、出てきても、おかしくはないだろうに・・!!
で、その、ギャップというもので、もしや?!
と、考えてみれば、それは、おれ、毛利太郎が、萩に、産まれて、今では、この国の、天皇家を、脅かすほどの、男にまで、台頭するなんて、おれは、気が付きも、しなかったぜ・・・・!!
元々の、萩の毛利氏の、思想と言えば、打倒・幕府の、気風があった街であるが、その、萩から、おれ、毛利太郎が、56才になって、始めて、自覚を持つようになったのである・・・!!
しかし、おれも、もう、56才であれば、おれの、後を継ぐのは、やっぱり、萩高等学校卒と言うことになるわけだが・・・!!
おれは、気が付けば、国体だったんだと思えば、おれは、独身であり、と言うことは、おれの、跡取りは、萩に、産まれていなければ、おかしいのでなかろうか・・?!
萩の、毛利氏の、由緒ある、打倒・幕府の、志は、今は、おれに、生きているが、先ずは、まだ、生きている、おれの、これからの、志は、おれ、毛利太郎が、行動で、示さねばなぁ・・・!!
おれは、今、文人として、思えば、東京の、天皇に、関わりのあった、文人で、思い出すのは、三島由紀夫であるが、おれは、萩生まれの、文人、毛利太郎であるが、おれは、国体であり、そして、文人も、兼ねており、後は、将来は、やっぱり、萩市長を、やらねば、萩市だけではない、長門市も、影響が出て来る、男なんですよ・・!!
三島由紀夫は、小説家、毛利太郎は、エッセイスト・・・!!
ただし、三島由紀夫には、ないものがあれば、おれは、一話書けば、世界中の、何十億人もの、読者相手に、エッセイを、ほぼほぼ、毎日、書いている、男である・・・!!
萩の、お城は、かつては、萩城だったが、今の、萩城に、代るのは、萩市役所だ!!
おれは、高校時代には、将来は、萩市長だったが、それからの、歴史と言えば、まさに、苦難・苦闘の、連続であり、ふと、気が付いてみれば、56才に、なっていた!!
小説家の、三島由紀夫と、エッセイストの、毛利太郎と言えば、同じ、文学と言えども、ジャンルが違う・・!!
三島由紀夫に、おれの様な、エッセイが、書けるなら、書いて観やがれ・・・!!
おれの、人生と言えば、今でも、筋肉は、重要な、テーマではあるが、それでも、三島由紀夫とは、徹底的に、違うはずだけど・・・!!
三島由紀夫は、天皇を、崇拝していたが、おれは、天皇は、崇拝は、しませんよ・・!!
何故ならば、おれ自身が、この国の、国体なんだから、東京の、天皇は、敵である!!
おれの、生涯を、辿ってみれば、学校が、楽しかったのは、小学校3年までであり、後は、いじめあり、自殺あり、精神病あり、逮捕歴ありと、七転八倒の、人生であったが、おれは、その人生を、例えれば、おれの、宗教である、キリスト教の、イエス様の様でもあろうか・・・?!
おれは、まるで、復活した、イエス様の、様であると、例えてみようかな・・・?!
すると、全世界で、凡そ、30億人もの、信徒がいる、わけである・・!!
おれは、萩と、イエス様の、関係と、毛利氏と、イエス様の、関係を、考えてみれば、確かに、毛利氏は、イエス様を、迫害していたが、おれは、どうして、日本史や、世界史は、全くの、無知になったのか・・?!
歴史を、塗り替えるという、言葉があるが、それが、出来るのは、文学では、まさに、エッセイだけしか、出来ないのではないか・・・?!
それは、毎日、毎日、書き替えられる、おれの、ブログであるが・・・!!
萩は、土地の名前であり、大地の、名前であるが、毛利氏は、あくまでも、人物の、名前である・・・!!
おれは、萩が、大好きなわけであり、毛利氏の街・萩に、まさに、生まれ落ちてきたのが、おれ、毛利太郎である・・・!!
おれは、萩に産まれて、そこには、萩光塩学院と言う、カトリックの、学校があったが、おれは、毛利氏の藩校の、ルーツのある、萩明倫小学校で、大いに学んだ・・!!
おれは、もしや、萩光塩学院で、学べば、どうなっていたのかは、分からない・・!!
しかし、おれは、萩市教育委員会の、学校である、萩明倫小学校で、大いに、学び、そして、精神的に、或いは、肉体的に、虐められたのであるが、しかし、学校を、休むことなく、通い、そして、大いに、学び続けた・・・!!
学ぶことは、大好きな、男であった、おれであるが、結局は、おれは、理科系頭だったのか?!と、思うのは、萩高校では、日本史や、世界史が、全く、出来なくなっていたのである・・・!!
しかし、前回も、書いたように、萩第一中学校時代の、おれの、夢は、社会科の、教師になることだった・・・!!
中学までは、おれは、社会科は、抜群だったんですよね・・・!!
そして、おれは、図書館とは、密接な関係があり、加えて、新聞少年でもあり、読書だって、大好きだったが、今では、まるで、一日は、すぐに、経過してしまう・・・!!
残ったものが、筋トレという、体育的な、活動ではないだろうか・・・!!
おれが、文学でも、始めてみようか?!
と、思いついたのは、30才の時の、歴史作家の、司馬遼太郎先生の、訃報を、聴いてからであった・・・!!
1996年2月12日の事であったが・・・・!!
以上。 今日は、ここまで・・・!!
終了時刻:20:18:52